になつたの。」
「えゝ。」お葉は淋しく肯《うなづ》いたのである。
「おとなしく待つてて下さいね、いまに迎ひに來ますから。」
看護婦は裳《すそ》をひるがへして走つた。
やがて一時といふ時に輸送車は彼女を遠い遠い細い廊下の奧に引き去つた。それからお葉はいま迄切り取つた白い爪を見ることが出來ないのである。あの爪はのびたであらうか。あの爪はいまどこか靜かな所で、花いろに匂つてゐるやうに思へる。
お葉はやがて、新らしい浴場の若い無智なおかみさんと親しくなつたのである。そして彼女が人ない朝の湯ぶねのなかに浸つて、新たに來る人を追手のやうに恐れてゐるのを慰めた。そしてお葉の爲めに泣いたのである。けれどもまたお葉が浴衣をぬいで友禪の長襦袢に身を包んだ時、無智な女は番臺によつてその幸福を羨んだのである。
お葉はひそかに浴場を出るのだつた。もし人が彼女の浴場から出て來たのを見てその肉體の缺陷を知り、如何にして入浴するかと怪しみ想像することを恐れたのである。そしてお葉が狹い路次にさしかかる時に、折々|跛《びつこ》の年老いた俥夫《しやふ》に會ふのであつた。
彼女はその時あまりに哀れな世の中だと思つた
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