素木しづ

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)多緒子《たをこ》の

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ある朝|巍《たかし》が幸子を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)おむつ[#「おむつ」に傍点]を

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)生き/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

 丁度夏に向つてる、すべての新鮮な若葉とおなじやうに、多緒子《たをこ》の産んだ赤ん坊は生き/\と心よく康《すこ》やかに育つた。そしてそれと同時に産後思はしくなかつた彼女の肉體も恢復して來ると、ながい間産前から産後、そしていまもなほ引つゞいてゐる、いろ/\涙ぐましい堪へがたいなやみも、忙しい雜事の爲めにとりまぎれて、思ひつめる事も少なくなつた。
 多緒子は産後思はしくなかつたけれども、彼女の若い肉體には、別に少しのやつれも見えなかつた。やはり艶のいゝ生き/\した頬をして、娘の時のやうにありあまるやうな黒髮を手輕な銀杏返しに結つて、白い兩腕を忙《せは》しく動かしながら、赤ん坊の着物を縫つたり、おむつ[#「おむつ」に傍点]をかへたり等《など》してゐた。そして多緒子《たをこ》は赤ん坊の顏を時々見つめながら、彼女の頭にはいろ/\の幻が、走馬燈のやうにまつはつてゐるのであつた。
 彼女は忽ちいつか電車のなかで見た、桃割に結つた内氣なおとなしい十六七の娘の淋しさうな横顏を思ひ浮べた。そしてそれが自分の娘であつた。彼女はその娘に對するいろ/\の心づかひや、衣服の選擇などを思ひ浮べた。
 また彼女はいつか道ですれ違つた、海老茶色のリボンを前髮につけた眼の大きい、黒い編上げの靴をはいた快活さうな少女のことを考へた。そしてそれがまた彼女の子供であつた。彼女はすぐに通學する用意や、それに對する種々な注意、リボンの色合や袴の色について考をめぐらした。そして多緒子は、自分の持つてるフランス製の小さな女持の金時計を、その子供に與へなければならないと思つたのであつた。
 けれども多緒子はまづ氣がついたやうに、第一、六つになつたならば幼稚園に通はせなければならないのだと考へた。また白いエプロンをかけて、赤い羅紗の輕い靴をはかせて、道を眞直に迷はないで石ころをよけて歩くやうに、片手をひいて幼稚園まで送つ
次へ
全12ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
素木 しづ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング