て行かなければならないのだと思ふと、彼女の瞳は急にうつむくやうになつて、淋しさうに考へ込んだ。そしてなにかにおどかされたやうに、側にねせてあつた赤ん坊の上にかぶさるやうになつて、新らしい果物のやうな赤ん坊の香りをかぎながら、やはらかな頬に顏を押しつけて、
『いつまでも、いつまでもこのまゝでゐるやうに。』
 と、口の中でつぶやいた。そして多緒子は、大きな瞳をうるませながら、いろんな考へを振り切るやうにして、一生懸命働いた。
 多緒子は、丁度二年程前に病氣で片足を失つた不自由な肉體であつた。それで彼女は姙娠するとすぐに、不具の親を持つた子の悲しみと、不具の子を持つた親の悲しみとを考へたのであつた。けれども、それは各々にとつて唯一な最愛なものなのだ、多緒子は自分の爲めに絶えず悲しんだ、自分の母親やまた姉の不具をはづかしく思つた妹のことなどを考へた。
 多緒子は自分が母にならうとした時、そしてまた母になつてしまつてからでも、たえず我子がかつて母親の人並にすこやかであつた姿を見ることが出來ずに、まづ最初に知る母としての唯一のものが、不具であるのを知つた時に、なにも知らない、いとしい不幸な我子に對して、何といふ云ひわけをしたらいゝだらうと涙にくれた。
 けれども多緒子は、自分の肉體に對して我子に云ひわけする何物もなかつた。彼女は自分が不具にならなければならなかつたことについては、何にも知らない、只病氣の爲めにといふ、その一言より知らないのである。けれども我子は必ず、『なぜ病氣になつたの。』と聞くに違ひない、けれども彼女自身もなぜ病氣になつたのか知らないのだ。
『身體が弱かつたから。』
『なぜ、身體が弱かつたの。』子供はまた聞くに違ひない。けれども彼女はなぜ自分が弱かつたかといふことについては、何と答へていゝか知らない。それよりも子供は何《なん》と思ふであらう。母親の不具であることが、女の子のせまい胸のなかに、頼りない恥しさ肩身のせまい思ひをさせることだらう。そしてもしや/\母親を恨むことがなからうか。我身のかなしさのあまり、母親を憎むことがありはしないだらうか。
 若い母親の多緒子は、そんなことを思ひつゞけて涙にくれた。彼女はまた無心の赤子《あかご》に對して自分が堪へがたい愛情を覺えれば覺えるほど、彼女は堪へがたい悲しみに心をうばはれた。そして彼女はその悲しみのうちに、子供に云
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