の醫者に行つた。けれどもそれは風邪を引いたのだらうと云ふ位な診斷であつた。しかし彼女たちは、貰つて來た藥を幸子にのませては、このまゝ風邪《かぜ》でなほるようにと祈つた。けれども二人はおなじやうに、幸子が彼女たちの中から災のやうに奪はれて、死んでゆく有樣を想像した。二人は常に彼等たちの手におよばない、人力でどうすることも出來得ない災といふもの、運命といふものゝことを考へてゐた。それは、いづこにも如何なる所にでも、如何なる幸福のなかにでも、ひそんでゐるやうに思はれたのであつた。二人はある朝|巍《たかし》が幸子を抱いて、その後から多緒子が杖によつて歩きながら散歩をした。そして通りすがりの寫眞屋によつて幸子の寫眞をとつた。若い兩親は、そしていま寫した我子の寫眞が唯一のものとして胸に抱きしめられ、むせび泣く日のことを考へた。二人はもしも幸子がこの世からなきものとなつたならば、自分たちは何の爲めに生きるだらう。二人は死にいそぐより外はないと語り合つた。幸子の咳は初めのまゝに、やはり二つ三つ輕くするばかりであつた。
するとある日、夜半に目覺めた多緒子の肉體《からだ》は火のやうになつてゐた。多緒子は苦しくて寢ることが出來なかつた。
夜があけると、その日は細かい雨がふつてゐた。彼女は漸く床をはひ出て、開《あ》け放した縁の柱によつて坐つた、多緒子の肉體はまだ燃えるやうに熱かつた。けれども投げ出すやうにしてある兩手も、顏の色も眞白であつた。
多緒子は、その日の夕方《ゆふがた》幸子《さちこ》と共に夫につれられて病院に行つた。夫の巍《たかし》は別室に入つて醫者としばらく話をしてゐた。そして暗くなつて街に火がついた頃|家《うち》に歸つて來ると、多緒子は起きてることが出來ないやうにすぐ床の上に横になつた。巍は暗い顏をして氣づかはしさうに、ぢつと多緒子の枕元に坐つた。
多緒子は肺が惡かつたのである。そして醫者は、少しの猶豫もなく空氣のいゝ海岸に轉地しなければ、いまにうごかすことが出來なくなるといふことを言つた。そしてそれと同時に、幸子《さちこ》は輕い百日咳になつてしまつたのであつた。
巍《たかし》はすぐにわづかばかりの道具を片づけ、家を引きはらつて程近い海岸にゆくと、彼等は砂山に面した小さな家を借りて住んだ。そして砂山に面した波の音の聞えるその家の一間に、床を敷いて白い蚊帳をつると、多緒
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