子供の細い泣き聲がいつまでも/\きこえてゐた。
 幸子《さちこ》は、しばらくたつて泣きやんで歸つて來るが、靜かに起き上つてゐる多緒子の顏を見ると、急に堪へがたいやうに泣き立てた。そして多緒子の細い腕に抱かれると、すゝり上げて嬉しさうに泣きやんだ。けれども彼女はすぐにまた横にならなければならなかつた、幸子は晝も夕べも、女の脊中に負はれて、
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たんぽさん、たんぽさん、お前のお國はどこじやいな。房州の房州の外房州。――
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といふ唄の聲につれて、泣きながら海の方や松林のなかに、つれられて行くのであつた。
 多緒子は娘であつた頃病といふものを少しも怖れてゐなかつた。彼女は靜かな部屋のなかの藥とそして花の香の中で、力ない腕を見つめながら白い床の上にねてゐることは、本當に美しいことであると思つてゐた。そして殊に若く美しい花が人に手折《たを》られたやうに死んで行くことは、限りない幸福なことだと考へてゐたのであつた。そして生れつき弱い彼女は、これまで度々病氣をした。けれどもその病氣に對しての恐怖、その恐怖に對する悲しみなどを、眞に感じたことがなかつたのだ。
 しかし多緒子はいま床の上に身を横たへながら、絶えず死の恐怖におそはれた。そして死の恐怖におそはれるが故に、彼女の悲しみは絶えなかつた。幸子の泣き聲にも、女の歌の聲にも、ゆるい波の音にも、たへがたい悲哀をおぼえた。彼女は自分の死後の悲慘な子供の未來が胸に浮んでならなかつた。
 自分がゐなくなつたならば、誰が幸子《さちこ》に乳をのませてくれるだらう。誰が子供に着物を縫つてやるだらう。彼女は力なく部屋のなかを見まはしてゐる時、いつもさう思ふのであつた。彼女はいま力なく何事もなし得ないで床のなかに横たはつてゐるけれども、見まはした部屋のなかに目につくすべての必要なものは、彼女の考、彼女の手、彼女の心づかひで、すべて出來たものであつた。彼女が死んでしまつたならば、それらのすべての必要なもの清らかなものは古びてそこなはれて、いつかなくなつてしまふだらう。そしてその中に成長する幸子、生活する夫の何物かに不足がちな淋しい顏、淋しい心を考へることが出來るのであつた。
 多緒子はしみ/″\と自分の心、自分の力、自分の愛が家のなかのすべてのものに、夫と子供の心のすべてに肉體のすべてに行き渡つて流れてゐるこ
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