ら先において、人間であるかなしさや醜さをどれほど感ずることかもしれない。けれども少女はまだなんにも知らない。まず最初の女であるが故の驚きとかなしみと不安との為めに、すべての幼いよろこびを失ってしまったのであった。
少女は、青く高く輝くばかりに晴れ渡っている大空を、茫然と見上げた。そして漠然とした悲哀が雲のように涙となって、瞳の上にかぶさって来るのを覚えた。
彼女は、涙をかくして再びまた汗のにじむような熱さと、きらびやかな日の輝きを見た時に、この強烈な日の光りの明るさに少女はたえられなかった。そして彼女はひたすらに、ほの暗く沈んでゆくような夕暮になるのをまちあぐんだ。
少女は初めてこの時、明るさを暗くしたいと思った。くれ方の定めがたい闇のいろがなつかしかった。そこに女が秘密をよろこぶという心が胚胎したのかもしれない。彼女はもはや女そのものゝ運命の、暗示をわずかながら知ることが出来たのかもしれない。
少女は遂に、喜びと嬉しさと限りない自由とによって想像された夏休の第一日目を、唯いまわしさとかぎりない羞恥と、さま/″\な不安な感情に捕えられて、彼女の部屋の窓際に暮した。そしていつか、あらゆる人の世の中に対する漠然とした懐疑を持って、自分の生れたという過去からの記憶と、意識とをよみがえらして放心したように空を見つめていた時、黄昏が少女に対してすべての疑をつゝむようにそしてまた、すべての神秘を示すように、窓の外を紫いろの空気にしずめて行ってしまった。
少女はその時、漸く黄昏の柔らかな保護を受けて安心したように吐息をついた。そして静かに玄関へ腰をおろしていたが、やがて、おず/\と草履をはき扉をあけて、門の柱によりかゝった。
山が彼女にどんな美しくかなしく見えたことだろう。陽のなごりによって輝く空に藍色の山は、彼女のかなしみや恥しさを夢のようにしてしまった。そして日のかくれた山のかげの明るさは、彼女に再び幸福のあこがれを覚えさせた。
少女は、夕ぐれの靄の彼方《かなた》から兄が釣竿を肩にして歩いて来るのを見た。彼女は兄の近づくのを微笑を持って眺めていた。兄は一人の友だちと話しながら、よごれた鳥打をかぶって彼女に近づいた。
『今日はとれた、やまべ[#「やまべ」に傍点]をとって来たんだぜ。』
兄は元気らしく彼女に云った。友だちは足元を見て笑っていた。
『なにをしてるの。』兄は裏の方に行こうとして、また云った。少女は、常のように気軽な元気な言葉が出なかった。しかし兄に対するしたしみの嬉しさの微笑が、やさしく頬に浮んだ。『あんまり暑かったから――』
少女は口少なく云った。兄は妹がかぎりなく優しく見えた。そして美しきものに対するある隔意を感じながら裏口にまわった。
一週間ののち、少女はまた飛び立つような身軽《みが》るさとうれしさとに輝く盛夏の日光を、限りなく身一っぱいに浴することが出来た。彼女の肉体も感情もすべてが新らしく力強くなったように思われた。少女は一人すべて路傍のものにまでのはげしい憧憬《しょうけい》や熱愛のために、湧きかえるような心を抱いて道を歩いた。彼女はやがて大通りの大きな本屋に元気よく飛び込んだ。本屋の店先には、若い男女学生が記《しる》された本の表題に、各々胸をおどらしているのであった。
少女はじっといろ/\な表題を見ていた。そして彼女の心のなかの憧憬《しょうけい》が、あふれるようになった時、悲哀が彼女を涙ぐませる程にいつか一ぱいになってしまってた。何を思うのでもない。そしてまた何をかなしむのでもない。けれども彼女はすべてがはかなく、すべてが悲しみにみちてるように思われたのであった。彼女は、一葉全集を静かに風呂敷につゝみながら店を出た。
少女は道すがら、いろ/\悲しい事を思出していた。自分の姉が肺病で病院に入っていること、そして肺病だからといって自分がもはや一月以上も姉に逢われないこと、その姉の大きな眼、あの細い手にはめてる真珠の指環、長い長い髪、少女は美しい一番上の姉を思出してる時、もはや姉は死んだ人のように思われた。
『姉さんは死ぬんだ。』そう彼女は口のなかではっきりと云って見た。けれども心のなかではもはや姉さんがこのまゝ彼女に逢わずに病院で死んでしまったことになっていた。彼女は涙があふれそうになった。彼女は夢のように歩いた。
少女はやがておどろいたように立止った。そして行きすぎた女の人の後姿を振りかえって見たが、それは彼女の学校の歴史の先生ではなかった。行きすぎた女の人の髪の毛は、あまりにすくなかった。けれども彼女は、すぐなつかしい歴史の先生のことを思出した。そして、彼女がその先生といまだ近づきになることが出来ないことがたまらなく悲しく思われて来たのであった。
少女はいつか博物館の森の方に歩いて来てしま
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