わがひとに与ふる哀歌
伊東静雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)とき偶《たま》に晴れ渡つた日に

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|米《メートル》の雪が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#改丁]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だん/\愉快になつてゆくのを見た
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 目次


晴れた日に
曠野の歌
私は強ひられる――
氷れる谷間
新世界のキィノー
田舎道にて
真昼の休息
帰郷者
同反歌
冷めたい場所で
海水浴
わがひとに与ふる哀歌
静かなクセニエ
咏唱
四月の風
即興
秧鶏は飛ばずに全路を歩いて来る
咏唱
有明海の思ひ出
(読人不知)
かの微笑のひとを呼ばむ
病院の患者の歌
行つて お前のその憂愁の深さのほどに
河辺の歌
漂泊
寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ

(読人不知)
[#改丁]

古き師と少なき友に献ず
[#改ページ]

 晴れた日に


とき偶《たま》に晴れ渡つた日に
老いた私の母が
強ひられて故郷に帰つて行つたと
私の放浪する半身 愛される人
私はお前に告げやらねばならぬ
誰もがその願ふところに
住むことが許されるのでない
遠いお前の書簡は
しばらくお前は千曲川の上流に
行きついて
四月の終るとき
取り巻いた山々やその村里の道にさヘ
一|米《メートル》の雪が
なほ日光の中に残り
五月を待つて
桜は咲き 裏には正しい林檎畑を見た!
と言つて寄越した
愛されるためには
お前はしかし命ぜられてある
われわれは共に幼くて居た故郷で
四月にははや縁《つば》広の帽を被つた
又キラキラとする太陽と
跣足では歩きにくい土で
到底まつ青な果実しかのぞまれぬ
変種の林檎樹を植ゑたこと!
私は言ひあてることが出来る
命ぜられてある人 私の放浪する半身
いつたい其処で
お前の懸命に信じまいとしてゐることの
何であるかを
[#改ページ]

 曠野の歌


わが死せむ美しき日のために
連嶺の夢想よ! 汝《な》が白雪を
消さずあれ
息ぐるしい稀薄のこれの曠野に
ひと知れぬ泉をすぎ
非時《ときじく》の木の実|熟《う》るる
隠れたる場しよを過ぎ
われの播種《ま》く花のしるし
近づく日わが屍骸《なきがら》を曳かむ馬を
この道標《しめ》はいざなひ還さむ
あゝかくてわが永久《とは》の帰郷を
高貴なる汝《な》が白き光見送り
木の実照り 泉はわらひ……
わが痛き夢よこの時ぞ遂に
休らはむもの!
[#改ページ]

 私は強ひられる――


私は強ひられる この目が見る野や
雲や林間に
昔の私の恋人を歩ますることを
そして死んだ父よ 空中の何処で
噴き上げられる泉の水は
区別された一滴になるのか
私と一緒に眺めよ
孤高な思索を私に伝へた人!
草食動物がするかの楽しさうな食事を
[#改ページ]

 氷れる谷間


おのれ身悶え手を揚げて
遠い海波の威《おど》すこと!
樹上の鳥は撃ちころされ
神秘めく
きりない歌をなほも紡《つむ》ぐ
憂愁に気位高く 氷り易く
一瞬に氷る谷間
脆い夏は響き去り……
にほひを途方にまごつかす
紅《くれなゐ》の花花は
(かくも気儘に!)
幽暗の底の縞目よ
わが 小児の趾《あし》に
この歩行は心地よし
逃げ後れつつ逆しまに
氷りし魚のうす青い
きんきんとした刺は
痛し! 寧ろうつくし!
[#改ページ]

 新世界のキィノー


朝鮮へ東京から転勤の途中
旧友が私の町に下車《お》りた
私をこめて同窓が三人この町にゐる

私が彼の電話をうけとつたのは
私のまはし者どもが新世界でやつてゐる
キィノーでであつた

私は養家に入籍《い》る前の名刺を 事務机から
さがし出すと それに送宴の手筈を書き
他の二人に通知した

私ら四人が集ることになつたホテルに
其の日私は一ばん先に行つた
テラスは扇風機は止つてゐたが涼しかつた

噴水の所に 外から忍びこんだ子供らが
ゴム製の魚を
私の腹案の水面に浮べた

「体《てい》のいゝ左遷さ」と 吐き出すやうに
旧友が言ひ出したのを まるきり耳に入らないふりで
異常に私はせき込んで彼と朝鮮の話を始めた

私は 私も交へて四人が
だん/\愉快になつてゆくのを見た
(新世界で キィノーを一つも信じずに入場《はい》つて

きた人達でさへ 私の命じておいた暗さに
どんなにいらいらと 慣れようとして
目をこすることだらう!)

高等学校の時のやうに歌つたり笑つたりした
そして しまひにはボーイの面前で
高々とプロジツト! をやつた

独りホテルに残つた旧友は 彼の方が
友情のきつかけにいつもなくてはならぬ
あの朝鮮[#「朝鮮」に傍点]の役目をしたことを 激しく後悔した

二人の同窓は めい/\の家の方へ
わざとしばらくは徒歩でゆきながら
旧友を憐むことで久しぶりに元気になるのを感じた
[#改ページ]

 田舎道にて


日光はいやに透明に
おれの行く田舎道のうへにふる
そして 自然がぐるりに
おれにてんで見覚えの無いのはなぜだらう

死んだ女《ひと》はあつちで
ずつとおれより賑やかなのだ
でないと おれの胸がこんなに
真鍮の籠のやうなのはなぜだらう

其《そ》れで遊んだことのない
おれの玩具《おもちや》の単調な音がする
そして おれの冒険ののち
名前ない体験のなり止《や》まぬのはなぜだらう
[#改ページ]

 真昼の休息


木柵の蔭に眠れる
牧人は深き休息《やすらひ》……
太陽の追ふにまかせて
群畜《けもの》らかの速き泉に就きぬ
われもまたかくて坐れり
二番花乏しく咲ける窓辺に

土《ち》の呼吸《いき》に徐々に後れつ
牧人はねむり覚まし
己《わ》が太陽とけものに出会ふ
約束の道へ去りぬ……
二番花乏しく咲ける窓辺に
われはなほかくて坐れり
[#改ページ]

 帰郷者


自然は限りなく美しく永久に住民は
貧窮してゐた
幾度もいくども烈しくくり返し
岩礁にぶちつかつた後《のち》に
波がちり散りに泡沫になつて退《ひ》きながら
各自ぶつぶつと呟くのを
私は海岸で眺めたことがある
絶えず此処で私が見た帰郷者たちは
正《まさ》にその通りであつた
その不思議に一様な独言は私に同感的でなく
非常に常識的にきこえた
(まつたく!いまは故郷に美しいものはない)
どうして(いまは)だらう!
美しい故郷は
それが彼らの実に空しい宿題であることを
無数な古来の詩の讚美が証明する
曾てこの自然の中で
それと同じく美しく住民が生きたと
私は信じ得ない
ただ多くの不平と辛苦ののちに
晏如として彼らの皆が
あそ処《こ》で一基の墓となつてゐるのが
私を慰めいくらか幸福にしたのである
[#改ページ]

 同反歌


田舎を逃げた私が 都会よ
どうしてお前に敢て安んじよう

詩作を覚えた私が 行為よ
どうしてお前に憧れないことがあらう
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 冷めたい場所で


私が愛し
そのため私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
真白い花を私の憩ひに咲かしめよ
昔のひとの堪へ難く
望郷の歌であゆみすぎた
荒々しい冷めたいこの岩石の
場所にこそ
[#改ページ]

 海水浴


この夏は殊に暑い 町中が海岸に集つてゐる
町立の無料脱衣所のへんはいつも一ぱいだ
そして悪戯ずきな青年団員が
掏摸を釣つて海岸をほっつきまはる

町にはしかし海水浴をしない部類がある
その連中の間には 私をゆるすまいとする
成心のある噂がおこなはれる
(有力な詩人はみなこの町を見捨てた)と
[#改ページ]

 わがひとに与ふる哀歌


太陽は美しく輝き
あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた
かく誘ふものの何であらうとも
私たちの内《うち》の
誘はるる清らかさを私は信ずる
無縁のひとはたとへ
鳥々は恒《つね》に変らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聴く
私たちの意志の姿勢で
それらの無辺な広大の讚歌を
あゝ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虚を
歴然と見わくる目の発明の
何にならう
如かない 人気《ひとけ》ない山に上《のぼ》り
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに
[#改ページ]

 静かなクセニエ(わが友の独白)


私の切り離された行動に、書かうと思へば誰
でもクセニエを書くことが出来る。又その慾
望を持つものだ。私が真面目であればある程
に。
 と言つて、たれかれの私に寄するクセニエ
に、一向私は恐れない。私も同様、その気な
ら(一層辛辣に)それを彼らに寄することが
出来るから。
 しかし安穏を私は愛するので、その片よつ
た力で衆愚を唆すクセニエから、私は自分を
衛らねばならぬ。
 そこでたつた一つ方法が私に残る。それは
自分で自分にクセニエを寄することである。
 私はそのクセニエの中で、いかにも悠々と
振舞ふ。たれかれの私に寄するクセニエに、
寛大にうなづき、愛嬌いい挨拶をかはし、さ
うすることで、彼らの風上に立つのである。
悪口を言つた人間に慇懃にすることは、一《いつ》の
美徳で、この美徳に会つてくづほれぬ人間は
少ない。私は彼らの思ひついた語句を、いか
にも勿体らしく受領し、苦笑をかくして冠の
様にかぶり、彼らの目の前で、彼らの慧眼を
讚めたたへるのである。私は、幼児から投げ
られる父親を、力弱いと思ひこむものは一人
も居らぬことを、完全にのみこんでゐてかう
する。
 しかし、私は私なりのものを尊ぶので、決
して粗野な彼らの言葉を、その儘には受領し
ない。いかにも私の丈に合ふやうに、却つて、
それで瀟洒に見える様、それを裁ち直すのだ。
 あゝ! かうして私は静かなクセニエを書
かねばならぬ!
[#改ページ]

 咏唱


この蒼空のための日は
静かな平野へ私を迎へる
寛やかな日は
またと来ないだらう
そして蒼空は
明日も明けるだらう
[#改ページ]

 四月の風


私は窓のところに坐つて
外《そと》に四月の風の吹いてゐるのを見る
私は思ひ出す いろんな地方の町々で
私が識《し》つた多くの孤児の中学生のことを
真実彼らは孤児ではないのだつたが
孤児!と自身に故意《わざ》と信じこんで
この上なく自由にされた気になつて
おもひ切り巫山戯《ふざ》け 悪徳をし
ひねくれた誹謗と歓び!
また急に悲しくなり
おもひつきの善行でうつとりした
四月の風は吹いてゐる ちやうどそれ等の
昔の中学生の調子で
それは大きな恵《めぐみ》で気づかずに
自分の途中に安心し
到る処の道の上で悪戯をしてゐる
帯ほどな輝く瀬になつて
逆に後《うしろ》に残して来た冬の方に
一散に走る部分は
老いすぎた私をからかふ
曾て私を締めつけた
多くの家族の絆《きづな》はどこに行つたか
又ある部分は
見せかけだと私にはひがまれる
甘いサ行《ぎやう》の音で
そんなに誘ひをかけ
あるものには未だ若かすぎる
私をこんなに意地張らすがよい
それで も一つの絆を
そのうち私に探し出させて呉れるのならば
[#改ページ]

 即興


……真実いふと 私は詩句など要らぬのです
また書くこともないのです
不思議に海は躊躇《たゆた》うて
[#天から5字下げ]新月は空にゐます

日日は静かに流れ去り 静かすぎます
後悔も憧憬もいまは私におかまひなしに
奇妙に明《あか》い野のへんに
[#天から2字下げ]独り歩きをしてゐるのです
[#改ページ]

 秧鶏は飛ばずに全路を歩いて来る


秧鶏《くひな》のゆく道の上に
匂ひのいい朝風は要《い》らない
レース雲もいらない

霧がためらつてゐるので
厨房《くりや》のやうに温《ぬ》くいことが知れた
栗の矮林を宿にした夜《よ》は
反《そり》落葉にたまつた美しい露を
秧鶏はね酒にして呑んでしまふ

波のとほい 白つぽい湖辺で
そ処《こ》がいかにもアツト・ホームな雁《がん》と
道づれになるのを秧鶏は好かない
強ひるやうに哀れげな
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