のうちに身を埋め、ひそひそとささやいた。そのさざめきをば、ともすると、さらりと夜風が伝えて来た。物の化《け》か幽霊のような、あやしくひそやかなその響を。異様に、恐ろしく、ひいやりと、薄気味わるく。物の音を耳には聴いたが、何《なん》にも考えることは出来なくなったんだ。それでもその時|忽然《こつぜん》として、万事が会得せられたのだね。あの市街の石のような沈黙のうちに、僕は見たんだ、蒼涼《そうりょう》たる夜《よる》の流に包まれて紅き血汐の暴いバッカントの踊るのを。その屋根屋根を廻《めぐ》って燐光の燃え、怪しい物かげのゆらゆらと反映するのを。僕はその時はっと思いついた。ああ市《まち》は眠っている。だが狂酔と苦患《くげん》とは目を覚ましている。憎悪、精霊《せいれい》、熱血、生命、みんな目を覚ましている。生命、命《いのち》あるもの、最も力あるもの――人はそれを持っていながら往々忘れていることがあるね。
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一瞬時瞑目する。
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いろんなことで僕はすっかり疲れてしまったんだ。その一夜《ひとよ》に見たことは実際多過ぎるくらいだったんだ。
デジデリオ (欄干に倚《よ》りかかっているジヤニイノに。)だがこの市が、今下でどんな様子だか見てごらんよ。夕|靄《もや》と金色《こんじき》の残照に包まれ、薔薇《ばら》色した黄、明るい鼠《ねずみ》、その裾《すそ》は黒い陰の青、うるおいのある清らかさ、ほれぼれとする美しさだ。だがその暗示を満した靄の裡には、実はいやな事、つまらない事が一ぱいなんだ。そこの動物たちには唯狂暴があるばかりだ。遠見《とおみ》にはうまく隠してあるが、そこへ往って見ると、美などと云うものをば少しも知らない奴どもがうようよ、ごたごたと、味もそっけもなく充満しているんだ。彼等はその世界をわれわれの使うと同じ言葉で形容してはいるが、それは唯言葉の響だけで、われわれの歓喜、われわれの苦悩とはまるで似もつかぬものなんだ。われわれは深い眠に陥っているが、彼等の眠というものは全くの別物なんだ。あすこで眠っているものは猩紅《しょうこう》の血、黄金の蛇だ。巨人《チイタン》の槌《つち》を振う山が眠っているばかりだ。そして牡蠣《かき》の※[#「りっしんべん+(「夢」の「夕」に代えて「目」)」、第4水準2−12−
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