]とした檳榔の木立が矗《ちく》として立つてゐる姿は仲々に風情がある。檳榔と並んで、ずつと丈の低い夾竹桃が三四本、一杯に花をつけてゐる。墓の石畳の上にも点々と桃色の花が落ちてゐた。何処からか強い甘い匂の漂つて来るのは、多分この裏にでも印度|素馨《ジヤスミン》が植わつてゐるのだらう。其の匂は今日のやうな日には却つて頭を痛くさせる位に強烈である。
風は依然として無い。空気が濃く重くドロリと液体化して、生温い糊のやうにねば/\[#「ねば/\」に傍点]と皮膚にまとひつく。生温い糊のやうなものは頭にも浸透して来て、そこに灰色の靄をかける。関節の一つ一つがほごれた様にだるい。
煙草を一本吸ひ終つて殻を捨てた拍子に、一寸後を向いて家の中を見ると、驚いた。人がゐる。一人の女が。何処から何時の間に、はひつて来たのだらう? 先刻《さつき》迄は誰もゐなかつたのに。白い猫しかゐなかつたのに。さういへば今は白猫がゐなくなつてゐる。ひよつとすると、先刻の猫が此の女に化けたんぢやないかと(確かに頭がどうかしてゐた)本当に、極く一瞬間だが、そんな気がした。
驚いた私の顔を、女はまじろぎもせずに見てゐる。それは驚い
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