和歌でない歌
中島敦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)わが體系に統《す》べんともせし

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)幾萬年人|生《あ》れ繼ぎて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ヅキ/\と痛む
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    遍歴
ある時はヘーゲルが如萬有をわが體系に統《す》べんともせし
ある時はアミエルが如つゝましく息をひそめて生きんと思ひし
ある時は若きジイドと諸共に生命に充ちて野をさまよひぬ
ある時はヘルデルリンと翼《はね》竝べギリシャの空を天翔りけり
ある時はフィリップのごと小《ち》さき町に小《ちひ》さき人々《ひと》を愛せむと思ふ
ある時はラムボーと共にアラビヤの熱き砂漠に果てなむ心
ある時はゴッホならねど人の耳を喰ひてちぎりて狂はんとせし
ある時は淵明《えんめい》が如疑はずかの天命を信ぜんとせし
ある時は觀念《イデア》の中に永遠を見んと願ひぬプラトンのごと
ある時はノ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ーリスのごと石に花に奇しき祕文を讀まむとぞせし
ある時は人を厭ふと石の上に默《もだ》もあらまし達磨の如く
ある時は李白の如く醉ひ醉ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
ある時は王維をまねび寂《じやく》として幽篁の裏《うち》にひとりあらなむ
ある時はスウィフトと共にこの地球《ほし》の Yahoo《ヤフー》 共をば憎みさげすむ
ある時はヴェルレエヌの如雨の夜の巷に飮みて涙せりけり
ある時は阮籍《げんせき》がごと白眼に人を睨みて琴を彈ぜむ
ある時はフロイドに行きもろ人の怪《あや》しき心理《こころ》さぐらむとする
ある時はゴーガンの如逞ましき野生《なま》のいのち[#「いのち」に傍点]に觸ればやと思ふ
ある時はバイロンが如人の世の掟《おきて》踏躪り呵々と笑はむ
ある時はワイルドが如深き淵に墮ちて嘆きて懺悔せむ心
ある時はヴィヨンの如く殺《あや》め盜み寂しく立ちて風に吹かれなむ
ある時はボードレエルがダンディズム昂然として道行く心
ある時はアナクレオンとピロンのみ語るに足ると思ひたりけり
ある時はパスカルの如心いため弱き蘆をば讚《ほ》め憐れみき
ある時はカザノ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のごとをみな子の肌をさびしく尋《と》め行く心
ある時は老子のごとくこれの世の玄のまた玄空しと見つる
ある時はゲエテ仰ぎて吐息しぬ亭々としてあまりに高し
ある時は夕べの鳥と飛び行きて雲のはたてに消えなむ心
ある時はストアの如くわが意志を鍛へんとこそ奮ひ立ちしか
ある時は其角の如く夜の街に小傾城などなぶらん心
ある時は人麿のごと玉藻なすよりにし妹をめぐしと思ふ
ある時はバッハの如く安らけくたゞ藝術に向はむ心
ある時はティチアンのごと百年《ももとせ》の豐けきいのち[#「いのち」に傍点]生きなむ心
ある時はクライストの如われとわが生命を燃して果てなむ心
ある時は眼《め》・耳・心みな閉ぢて冬蛇《ふゆへび》のごと眠らむ心
ある時はバルザックの如コーヒーを飮みて猛然と書きたき心
ある時は巣父の如く俗説を聞きてし耳を洗はむ心
ある時は西行がごと家をすて道を求めてさすらはむ心
ある時は年老い耳も聾《し》ひにけるベートーベンを聞きて泣きけり
ある時は心咎めつゝ我の中のイエスを逐ひぬピラトの如く
ある時はアウグスティンが灼熱の意慾にふれて燒かれむとしき
ある時はパオロに降《お》りし神の聲我にもがもとひたに祈りき
ある時は安逸の中ゆ仰ぎ見るカントの「善」の嚴《いつ》くしかりし
ある時は整然として澄みとほるスピノザに來て眼《め》をみはりしか
ある時は※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レリイ流に使ひたる悟性の鋭《と》き刃《は》身をきずつけし
ある時はモツァルトのごと苦しみゆ明るき藝術《もの》を生まばやと思ふ
ある時は聰明と愛と諦觀をアナトオル・フランスに學ばんとせし
ある時はスティヴンソンが美しき夢に分け入り醉ひしれしこと
ある時はドオデェと共にプロ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンスの丘の日向《ひなた》に微睡《まどろ》みにけり
ある時は大雅堂を見て陶然と身も世も忘れ立ちつくしけり
ある時は山賊多きコルシカの山をメリメとへめぐる心地
ある時は繩目解かむともがきゐるプロメシュウスと我をあはれむ
ある時はツァラツストラと山に行き眼《まなこ》鋭《す》るどの鷲と遊びき
ある時はファウスト博士が教へける「行爲《タート》によらで汝《な》は救はれじ」
遍歴《へめぐ》りていづくにか行くわが魂《たま》ぞはやも三十《みそぢ》に近
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