しといふを

    憐れみ讚ふるの歌
ぬばたまの宇宙の闇に一ところ明るきものあり人類の文化
玄々《げんげん》たる太沖《たいちゆう》の中に一ところ温《あたた》かきものありこの地球《ほし》の上に
おしなべて暗昧《くら》きが中に燦然と人類の叡智光るたふとし
この地球《ほし》の人類《ひと》の文化の明るさよ背後《そがひ》の闇に浮出て美し
たとふれば鑛脈《くわうみやく》にひそむ琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]《らうかん》か愚昧の中に叡智光れる
幾萬年人|生《あ》れ繼ぎて築《きづ》きてしバベルの塔の崩れむ日はも
人間の夢も愛情《なさけ》も亡びなむこの地球《ほし》の運命《さだめ》かなしと思ふ
學問や藝術《たくみ》や叡智《ちゑ》や戀愛情《こひなさけ》この美しきもの亡びむあはれ
いつか來む滅亡《ほろび》知れれば人間《ひと》の生命《いのち》いや美しく生きむとするか
みづからの運命《さだめ》知りつゝなほ高く上《のぼ》らむとする人間《ひと》よ切なし
弱き蘆弱きがまゝに美しく伸びんとするを見れば切なしや
人類の滅亡《ほろび》の前に凝然と懼れはせねど哀しかりけり
しかすがになほ我はこの生を愛す喘息の夜の苦しかりとも
あるがまゝ醜きがまゝに人生を愛せむと思ふ他《ほか》に途《みち》なし
ありのまゝこの人生を愛し行かむこの心よしと頷きにけり
我は知るゲエテ・プラトン惡《あ》しき世に美しき生命《いのち》生きにけらずや
吃《きつ》として霜柱踏みて思ふこと電光影裡《でんくわうえいり》如何に生きむぞ

    石とならまほしき夜の歌 八首
石となれ石は怖れも苦しみも憤《いか》りもなけむはや石となれ
我はもや石とならむず石となりて冷たき海を沈み行かばや
氷雨降り狐火燃えむ冬の夜にわれ石となる黒き小石に
眼《め》瞑《と》づれば氷の上を風が吹く我は石となりて轉《まろ》びて行くを
腐れたる魚《うを》のまなこ[#「まなこ」に傍点]は光なし石となる日を待ちて我がゐる
たまきはるいのち寂しく見つめけり冷たき星の上にわれはゐる
あな暗《くら》や冷たき風がゆるく吹く我は墮ち行くも隕石のごと
なめくぢ[#「なめくぢ」に傍点]か蛭のたぐひかぬばたまの夜の闇處《くらど》にうごめき哂《わら》ふ

    また同じき夜によめる歌 二首
ひたぶるに凝視《みつ》めてあれば卒然《そつぜん》として距離の觀念|失《な》くなりにけり
大小《だいせう》も遠近《ゑんきん》もなくほうけたり未生《みしやう》の我《われ》や斯くてありけむ

    夢
何者か我に命じぬ割《わ》り切れぬ數を無限に割りつゞけよと
無限なる循環小數いでてきぬ割れども盡きず恐しきまで
無限なる空間を墮《お》ちて行きにけり割り切れぬ數の呪を負ひて
我が聲に驚き覺めぬ冬の夜のネルの寢衣《ねまき》に汗のつめたさ
無限てふことの恐《かし》こさ夢さめてなほ暫《しま》らくを心慄へゐる
この夢は幼き時ゆいくたびかうなされし夢恐しき夢
今|思《も》へば夢の中にてこの夢を馴染《なじみ》の夢と知れりし如し
ニイチェもかゝる夢見て思ひ得しかツァラツストラが永劫囘歸

むかしわれ翅《はね》をもぎける蟋蟀《こほろぎ》が夢に來りぬ人の言葉《くち》きゝて

何故《なにゆゑ》か生埋にされ叫べども喚《わめ》けど呼べど人は來らず
叫べども人は來らず暗闇《くらやみ》に足の方《かた》より腐《くさ》り行く夢

    夢さめて再び眠られぬ時よめる歌
何處《どこ》やらに魚族奴等《いろくづめら》が涙する燻製《くんせい》にほふ夜半《よは》は乾《かわ》きて

    放歌
我が歌は拙《つた》なかれどもわれの歌|他《こと》びとならぬこのわれの歌
我が歌はをかしき歌ぞ人麿も憶良もいまだ得|詠《よ》まぬ歌ぞ
我が歌は短册に書く歌ならず街を往《ゆ》きつゝメモに書く歌
わが歌は腹の醜物《しこもの》朝《あさ》泄《ま》ると厠《かはや》の窓の下に詠む歌
わが歌は吾が遠《とほ》つ祖《おや》サモスなるエピクロス師にたてまつる歌
わが歌は天子呼べども起きぬてふ長安の酒徒に示さむ歌ぞ
わが歌は冬の夕餐《ゆふげ》の後《のち》にして林檎|食《を》しつゝよみにける歌
わが歌は朝《あした》の瓦斯《ガス》にモカとジャ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のコーヒー煮《に》つゝよみにける歌
わが歌はアダリンきかずいねられぬ小夜更床《さよふけどこ》によみにける歌
わが歌は呼吸《いき》迫りきて起きいでし曉《あけ》の光に書きにける歌
わが歌は麻痺劑強みヅキ/\と痛む頭に浮かびける歌
わが歌はわが胸の邊《へ》の喘鳴《ぜんめい》をわれと聞きつゝよみにける歌

身體《うつそみ》の弱きに甘えふやけゐるわれの心を蹴らむとぞ思ふ
手《て》・足《あし》・眼《め》とみな失ひて硝子箱に生きゐる人もありといはずや
ゲエテてふ男《をとこ》思へ
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