に酬いて見せた。その巧拙よりも、方面違いの若い博物の教師がそんな事をして見せたものだから、老先生はすっかり驚いて、人の良さそうな大袈裟な身振で讃め上げてくれたのだが、全く、その時、自分は――尊大なるべき俺の自尊心は――何と卑小な喜びにくすぐられたことだろう! 実際、その老教師が讃めた言葉の一句一句をさえハッキリ記憶しているほど、喜ばされたのではなかったか。ワイニンゲルによれば、女は、一生の間に自分に向って言われた讃辞《ほめことば》をことごとく覚えているものだそうだが、どうやらこれは女ばかりに限らないようだ。そういえば、俺はここ何年何箇月かの間、自分に向って発せられた一つの讃辞をも聞かなかった。自分の飢えていたのは、こんな詰まらないもの[#「もの」に傍点]に対してだったのか。それでは、それほどちっぽけ[#「ちっぽけ」に傍点]な虚栄心を充たしたがっているお前が、何故、こんな世間とかけ離れた生活を選んだのだ。オデュッセイアと、ルクレティウスと、毛詩|鄭箋《ていせん》と、それさえ消化《こな》しかねるほどの・文字通りの「スモオル・ラティン・アンド・レス・グリイク」と、それだけで生活は足りると思っ
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