うか?」と彼の中にいる、もう一人が反問する。
「全然解決の見込のない問題を頭から相手にしないという一般の習慣はすこぶる都合の良いものだ。この習慣の恩恵に浴している人たちは仕合せである。全くの所、多くの人はこんな馬鹿げた不安や疑惑を感じはしない。それならばこうしたことを常に感ずるような人間は不具なのかも知れぬ。跛者が跛足を隠すように俺もまたこの精神的異常を隠すべきだろうか? ところで、一体、その正常とか異常とか真実とか虚偽とかいう奴は、何だ? 畢竟《ひっきょう》、統計上の問題に過ぎんじゃないか。いや、そんな事はどうでもいい。何より大事なことは、俺の性情にとって、幾ら他人《ひと》に嗤《わら》われようと、こうした一種の形而上学的といっていいような不安が他のあらゆる問題に先行するという事実だ。こればかりは、どうにも仕方がない。この点について釈然としない限り、俺にとって、あらゆる人間界の現象は制限付きの意味しか有《も》たないのだから。ところで、これについて古来提出された幾多の解答は、結局この解疑が不可能だということを余りにも明らかに証明している。して見れば、俺の魂の安静のための唯一の必要事は、『
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