の美しさ・貴さは加わるのだ、と真実そのように信じられることも、時としてある。しかし、変転しやすい彼の気持は次の瞬間にはたちまち苦い幻滅の底に落ち込み、ふだん[#「ふだん」に傍点]より一層惨めなあじきなさ[#「あじきなさ」に傍点]の中に自《みずか》らを見出すのが常である。だから、しまいには、そうした精神の昂揚の最中《もなか》に在ってすら、後の幻滅の苦々しさを警戒して、現在の快い歓びをも抑え殺そうと力《つと》めるようにさえなったのだ。
ところで、今、河岸に沿うて歩きながら、珍しくも、三造の中にいる貧弱な常識家が、彼自身のこうした馬鹿馬鹿しい非常識を哂《わら》い、警《いまし》めている。「冗談じゃない。いい年をして、まだそんな下らない事を考えているのか。もっと重大な、もっと直接な問題が沢山あるじゃないか。何という非現実的な・取るに足らぬ・贅沢な愚かさに耽《ふけ》っているのだ。それは既に人々が夙《と》うの昔に卒業してしまった事柄――あるいは余り馬鹿げ切っているので、てんで初めから相手にしない事柄の一つではないか? 少しは恥ずかしく思うがいい。」「本当に人々はもはやこの問題を卒業しているのだろ
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