上の学生にも、彼はこの事について真剣になって訊ねて見た。すると彼らはみんな笑いながら、しかし、理論的には、大体それを承認するではないか。どうして、それで怖くないんだろう? どうして笑ってなんかいられるんだろう? 五千年や一万年の中《うち》にそんな事は起りゃしないよ、などと言ってどうして安心していられるんだろう? 三造は不思議だった。彼にとって、これは自分一人の生死の問題ではなかった。人間や宇宙に対する信頼の問題だった。だから、何万年後のことだからとて、笑ってはいられなかったのだ。その頃彼は一匹の犬を可愛がっていた。地球が冷えてしまう時に、仮に自分が遭遇するものとすれば、最後に氷の張り詰めた大地に坑《あな》を掘って、その犬と一緒に其処にはいって抱合って死ぬことにするんだが、と、その有様を寝床へ入ってから、よく想像して見たりした。すると、不思議に恐怖が消えて、犬のいとしさ[#「いとしさ」に傍点]とその体温とが、ほのぼの[#「ほのぼの」に傍点]と思い浮べられるのであった。しかし大抵は、夜、床に就いてからじっ[#「じっ」に傍点]と眼を閉じて、人類が無くなったあとの・無意義な・真黒な・無限の時の
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