の二|呎《フィート》もありそうな鳥が厭な声を立てて枝から飛立つ。

 三造の考えは再び「存在の不確かさ」に戻って行く。
 彼が最初にこういう不安を感じ出したのは、まだ中学生の時分だった。ちょうど、字というものは、ヘンだ[#「ヘンだ」に傍点]と思い始めると、――その字を一部分一部分に分解しながら、一体この字はこれで正しいのかと考え出すと、次第にそれが怪しくなって来て、段々と、その必然性が失われて行くと感じられるように、彼の周囲のものは気を付けて見れば見るほど、不確かな存在に思われてならなかった。それが今ある如くあらねばならぬ理由が何処《どこ》にあるか? もっと遥かに違ったものであっていいはずだ。おまけに[#「おまけに」に傍点]、今ある通りのものは可能の中での最も醜悪なものではないのか? そうした気持が絶えず中学生の彼につき纏うのであった。自分の父について考えて見ても、あの眼とあの口と、(その眼や口や鼻を他と切離して一つ一つ熟視する時、特に奇異の感に打たれるのだったが)その他、あの通りの凡《すべ》てを備えた一人の男が、何故自分の父であり、自分とこの男との間に近い関係がなければならなかったのか、と愕然《がくぜん》として、父の顔を見直すことがその頃しばしばあった。何故あの通りでなければならなかったのか。他の男ではいけなかったのだろうか?……周囲の凡てに対し、三造は事ごとにこの不信を感じていた。自分を取囲んでいる・あらゆるものは、何と必然性に欠けていることだろう。世界は、まあ何という偶然的な仮象の集まりなのだろう! 彼はイライラ[#「イライラ」に傍点]していつもこのことばかり考えていた。時として何だか凡てが解りかけて来そうな気がすることもないではなかった。それは、つまりその場合その偶然が――何から何まで偶然だということが結局ただ一つの必然なのではないか、という・少年らしい曖昧な考え方であった。それで簡単に解答が与えられたような気がすることもあった。そうでない時もあった。そうでない時の方が遥かに多かった。幼い思索はいらいら[#「いらいら」に傍点]したはがゆさ[#「はがゆさ」に傍点]を感じながら、必然という言葉の周囲をどうどう[#「どうどう」に傍点]廻《めぐ》りしては再び引返して行った。

 映画は古風な河蒸気が岸の低い川を下って行くところをうつしていた。蕃地の探検を終えた白人の
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