みのためしょうとなってきょうどにふるう》
路窮絶兮矢刃摧《みちきゅうぜつししじんくだけ》
士衆滅兮名已※[#「こざと+貴」、第3水準1−93−63]《ししゅうほろびなすでにおつ》
老母已死《ろうぼすでにしす》雖欲報恩将安帰《おんにむくいんとほっするもまたいずくにかかえらん》
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 歌っているうちに、声が顫《ふる》え涙が頬《ほお》を伝わった。女々《めめ》しいぞと自《みずか》ら叱《しか》りながら、どうしようもなかった。
 蘇武《そぶ》は十九年ぶりで祖国に帰って行った。

 司馬遷《しばせん》はその後も孜々《しし》として書き続けた。
 この世に生きることをやめた彼は書中の人物としてのみ活《い》きていた。現実の生活ではふたたび開かれることのなくなった彼の口が、魯仲連《ろちゅうれん》の舌端《ぜったん》を借りてはじめて烈々《れつれつ》と火を噴くのである。あるいは伍子胥《ごししょ》となって己《おの》が眼を抉《えぐ》らしめ、あるいは藺相如《りんしょうじょ》となって秦王《しんおう》を叱《しっ》し、あるいは太子丹《たいしたん》となって泣いて荊軻《けいか》を送った。楚《そ》の屈原《く
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