旧友に別れて、悄然《しょうぜん》と南へ去った。食糧衣服の類は充分に森の丸木|小舎《ごや》に残してきた。
 李陵は単于《ぜんう》からの依嘱《いしょく》たる降服勧告についてはとうとう口を切らなかった。蘇武《そぶ》の答えは問うまでもなく明らかであるものを、何もいまさらそんな勧告によって蘇武をも自分をも辱《はずかし》めるには当たらないと思ったからである。
 南に帰ってからも、蘇武の存在は一日も彼の頭から去らなかった。離れて考えるとき、蘇武の姿はかえっていっそうきびしく彼の前に聳《そび》えているように思われる。
 李陵自身、匈奴《きょうど》への降服という己《おのれ》の行為をよしとしているわけではないが、自分の故国につくした跡と、それに対して故国の己に酬《むく》いたところとを考えるなら、いかに無情な批判者といえども、なお、その「やむを得なかった」ことを認めるだろうとは信じていた。ところが、ここに一人の男があって、いかに「やむを得ない」と思われる事情を前にしても、断じて、自らにそれは「やむを得ぬのだ」という考えかたを許そうとしないのである。
 飢餓も寒苦も孤独の苦しみも、祖国の冷淡も、己の苦節がつい
前へ 次へ
全89ページ中77ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング