に何人《なんぴと》にも知られないだろうというほとんど確定的な事実も、この男にとって、平生の節義を改めなければならぬほどのやむを得ぬ事情ではないのだ。
蘇武の存在は彼にとって、崇高な訓誡《くんかい》でもあり、いらだたしい悪夢でもあった。ときどき彼は人を遣《つか》わして蘇武の安否を問わせ、食品、牛羊、絨氈《じゅうせん》を贈った。蘇武をみたい気持と避けたい気持とが彼の中で常に闘っていた。
数年後、今一度李陵は北海《ほっかい》のほとりの丸木|小舎《ごや》を訪《たず》ねた。そのとき途中で雲中《うんちゅう》の北方を戍《まも》る衛兵《えいへい》らに会い、彼らの口から、近ごろ漢の辺境では太守《たいしゅ》以下|吏民《りみん》が皆白服をつけていることを聞いた。人民がことごとく服を白くしているとあれば天子の喪《も》に相違ない。李陵は武帝《ぶてい》の崩《ほう》じたのを知った。北海の滸《ほとり》に到《いた》ってこのことを告げたとき、蘇武《そぶ》は南に向かって号哭《ごうこく》した。慟哭《どうこく》数日、ついに血を嘔《は》くに至った。その有様を見ながら、李陵はしだいに暗く沈んだ気持になっていった。彼はもちろん
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