た長所と短所とを有《も》っていた。愛寵《あいちょう》比なき李《り》夫人の兄たる弐師《じし》将軍にしてからが兵力不足のためいったん、大宛《だいえん》から引揚げようとして帝の逆鱗《げきりん》にふれ、玉門関《ぎょくもんかん》をとじられてしまった。その大宛征討も、たかだか善馬がほしいからとて思い立たれたものであった。帝が一度言出したら、どんな我儘《わがまま》でも絶対に通されねばならぬ。まして、李陵の場合は、もともと自《みずか》ら乞《こ》うた役割でさえある。(ただ季節と距離とに相当に無理な注文があるだけで)躊躇《ちゅうちょ》すべき理由はどこにもない。彼は、かくて、「騎兵を伴わぬ北征」に出たのであった。

 浚稽山《しゅんけいざん》の山間には十日余|留《とど》まった。その間、日ごとに斥候《せっこう》を遠く派して敵状を探ったのはもちろん、附近の山川地形を剰《あま》すところなく図に写しとって都へ報告しなければならなかった。報告書は麾下《きか》の陳歩楽《ちんほらく》という者が身に帯びて、単身都へ馳《は》せるのである。選ばれた使者は、李陵《りりょう》に一揖《いちゆう》してから、十頭に足らぬ少数の馬の中の一
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