匹に打跨《うちまたが》ると、一鞭《ひとむち》あてて丘を駈下《かけお》りた。灰色に乾いた漠々《ばくばく》たる風景の中に、その姿がしだいに小さくなっていくのを、一軍の将士は何か心細い気持で見送った。
十日の間、浚稽山《しゅんけいざん》の東西三十里の中には一人の胡兵《こへい》をも見なかった。
彼らに先だって夏のうちに天山へと出撃した弐師《じし》将軍はいったん右賢王《うけんおう》を破りながら、その帰途別の匈奴《きょうど》の大軍に囲まれて惨敗《ざんぱい》した。漢兵は十に六、七を討たれ、将軍の一身さえ危うかったという。その噂《うわさ》は彼らの耳にも届いている。李広利《りこうり》を破ったその敵の主力が今どのあたりにいるのか? 今、因※[#「木+于」、10−7]《いんう》将軍|公孫敖《こうそんごう》が西河《せいが》・朔方《さくほう》の辺で禦《ふせ》いでいる(陵《りょう》と手を分かった路博徳《ろはくとく》はその応援に馳《は》せつけて行ったのだが)という敵軍は、どうも、距離と時間とを計ってみるに、問題の敵の主力ではなさそうに思われる。天山から、そんなに早く、東方四千里の河南《かなん》(オルドス)の地ま
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