は、今まで漢に対する軍略にだけは絶対に与《あずか》らなかった彼が、自《みずか》ら進んでその相談に乗ろうと言出したからである。単于はこの変化を見て大いに喜んだ。彼は陵を右校王《うこうおう》に任じ、己《おの》が娘の一人をめあわせた。娘を妻にという話は以前にもあったのだが、今まで断わりつづけてきた。それを今度は躊躇《ちゅうちょ》なく妻としたのである。ちょうど酒泉《しゅせん》張掖《ちょうえき》の辺を寇掠《こうりゃく》すべく南に出て行く一軍があり、陵は自ら請うてその軍に従った。しかし、西南へと取った進路がたまたま浚稽山《しゅんけいざん》の麓《ふもと》を過《よぎ》ったとき、さすがに陵の心は曇った。かつてこの地で己《おのれ》に従って死戦した部下どものことを考え、彼らの骨が埋められ彼らの血の染《し》み込んだその砂の上を歩きながら、今の己が身の上を思うと、彼はもはや南行して漢兵と闘う勇気を失った。病と称して彼は独り北方へ馬を返した。

 翌、太始《たいし》元年、且※[#「革+是」、第3水準1−93−79]侯《そていこう》単于《ぜんう》が死んで、陵と親しかった左賢王《さけんおう》が後を嗣《つ》いだ。狐鹿姑
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