緒の帳幕《ちょうばく》へと赴《おもむ》いた。一言も言わぬ、一言も言わせぬ。ただの一刺しで李緒は斃《たお》れた。
 翌朝李陵は単于の前に出て事情を打明けた。心配は要《い》らぬと単于は言う。だが母の大閼《たいえん》氏が少々うるさいから――というのは、相当の老齢でありながら、単于の母は李緒と醜関係があったらしい。単于はそれを承知していたのである。匈奴《きょうど》の風習によれば、父が死ぬと、長子たる者が、亡父の妻妾《さいしょう》のすべてをそのまま引きついで己《おの》が妻妾とするのだが、さすがに生母だけはこの中にはいらない。生みの母に対する尊敬だけは極端に男尊女卑の彼らでも有《も》っているのである――今しばらく北方へ隠れていてもらいたい、ほとぼり[#「ほとぼり」に傍点]がさめたころに迎えを遣《や》るから、とつけ加えた。その言葉に従って、李陵は一時従者どもをつれ、西北の兜銜山《とうかんざん》(額林達班嶺《がくりんたっぱんれい》)の麓《ふもと》に身を避けた。
 まもなく問題の大閼《たいえん》氏が病死し、単于《ぜんう》の庭《てい》に呼戻されたとき、李陵《りりょう》は人間が変わったように見えた。というの
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