将軍をかばわんがために、李敢は鹿《しか》の角に触れて死んだと発表させたのだ。……。
司馬遷《しばせん》の場合と違って、李陵のほうは簡単であった。憤怒《ふんぬ》がすべてであった。(無理でも、もう少し早くかねての計画――単于《ぜんう》の首でも持って胡地《こち》を脱するという――を実行すればよかったという悔いを除いては、)ただそれをいかにして現わすかが問題であるにすぎない。彼は先刻の男の言葉「胡地《こち》にあって李将軍が兵を教え漢に備えていると聞いて陛下が激怒され云々《うんぬん》」を思出した。ようやく思い当たったのである。もちろん彼自身にはそんな覚えはないが、同じ漢の降将に李緒《りしょ》という者がある。元、塞外都尉《さいがいとい》として奚侯城《けいこうじょう》を守っていた男だが、これが匈奴《きょうど》に降《くだ》ってから常に胡軍《こぐん》に軍略を授け兵を練っている。現に半年前の軍にも、単于に従って、(問題の公孫敖《こうそんごう》の軍とではないが)漢軍と戦っている。これだと李陵《りりょう》は思った。同じ李《り》将軍で、李緒《りしょ》とまちがえられたに違いないのである。
その晩、彼は単身、李
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