であった。)名将李広は数次の北征に大功を樹《た》てながら、君側の姦佞《かんねい》に妨げられて何一つ恩賞にあずからなかった。部下の諸将がつぎつぎに爵位《しゃくい》封侯《ほうこう》を得て行くのに、廉潔《れんけつ》な将軍だけは封侯はおろか、終始変わらぬ清貧《せいひん》に甘んじなければならなかった。最後に彼は大将軍|衛青《えいせい》と衝突した。さすがに衛青にはこの老将をいたわる気持はあったのだが、その幕下《ばっか》の一|軍吏《ぐんり》が虎《とら》の威《い》を借りて李広を辱《はずか》しめた。憤激した老名将はすぐその場で――陣営の中で自《みずか》ら首|刎《は》ねたのである。祖父の死を聞いて声をあげてないた少年の日の自分を、陵はいまだにハッキリと憶《おぼ》えている。……
陵の叔父(李広の次男)李敢《りかん》の最後はどうか。彼は父将軍の惨《みじ》めな死について衛青を怨《うら》み、自ら大将軍の邸に赴《おもむ》いてこれを辱《はずか》しめた。大将軍の甥《おい》にあたる嫖騎《ひょうき》将軍|霍去病《かくきょへい》がそれを憤って、甘泉宮《かんせんきゅう》の猟のときに李敢を射殺した。武帝はそれを知りながら、嫖騎
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