ち》された一|漢卒《かんそつ》の口からである。それを聞いたとき、李陵は立上がってその男の胸倉《むなぐら》をつかみ、荒々しくゆすぶりながら、事の真偽を今一度たしかめた。たしかにまちがいのないことを知ると、彼は歯をくい縛《しば》り、思わず力を両手にこめた。男は身をもがいて、苦悶《くもん》の呻《うめ》きを洩《も》らした。陵《りょう》の手が無意識のうちにその男の咽喉《いんこう》を扼《やく》していたのである。陵が手を離すと、男はバッタリ地に倒れた。その姿に目もやらず、陵は帳房《ちょうぼう》の外へ飛出した。
めちゃくちゃに彼は野を歩いた。激しい憤りが頭の中で渦《うず》を巻いた。老母や幼児のことを考えると心は灼《や》けるようであったが、涙は一滴も出ない。あまりに強い怒りは涙を涸渇《こかつ》させてしまうのであろう。
今度の場合には限らぬ。今まで我が一家はそもそも漢から、どのような扱いを受けてきたか? 彼は祖父の李広《りこう》の最期《さいご》を思った。(陵の父、当戸《とうこ》は、彼が生まれる数か月前に死んだ。陵はいわゆる、遺腹の児である。だから、少年時代までの彼を教育し鍛えあげたのは、有名なこの祖父
前へ
次へ
全89ページ中59ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング