にこれを援《たす》けしめた。ひいて因※[#「木+于」、39−13]《いんう》将軍|公孫敖《こうそんごう》は騎一万歩三万をもって雁門を、游撃《ゆうげき》将軍|韓説《かんせつ》は歩三万をもって五原《ごげん》を、それぞれ進発する。近来にない大|北伐《ほくばつ》である。単于《ぜんう》はこの報に接するや、ただちに婦女、老幼、畜群、資財の類をことごとく余吾水《しょごすい》(ケルレン河)北方の地に移し、自《みずか》ら十万の精騎を率いて李広利《りこうり》・路博徳《ろはくとく》の軍を水南《すいなん》の大草原に邀《むか》え撃った。連戦十余日。漢軍はついに退くのやむなきに至った。李陵《りりょう》に師事する若き左賢王《さけんおう》は、別に一隊を率いて東方に向かい因※[#「木+于」、39−18]《いんう》将軍を迎えてさんざんにこれを破った。漢軍の左翼たる韓説《かんせつ》の軍もまた得るところなくして兵を引いた。北征は完全な失敗である。李陵は例によって漢との戦いには陣頭に現われず、水北に退いていたが、左賢王の戦績をひそかに気遣《きづか》っている己《おのれ》を発見して愕然《がくぜん》とした。もちろん、全体としては漢軍
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