+鳥」、第3水準1−94−62]《おおとり》や雉子《きじ》などを射た。あるときなど夕暮れ近くなって矢も尽きかけた二人が――二人の馬は供の者を遙《はる》かに駈抜《かけぬ》いていたので――一群の狼に囲まれたことがある。馬に鞭《むち》うち全速力で狼群の中を駈け抜けて逃れたが、そのとき、李陵の馬の尻《しり》に飛びかかった一匹を、後ろに駈けていた青年左賢王が彎刀《わんとう》をもって見事《みごと》に胴斬《どうぎ》りにした。あとで調べると二人の馬は狼どもに噛《か》み裂かれて血だらけになっていた。そういう一日ののち、夜、天幕《てんまく》の中で今日の獲物を羹《あつもの》の中にぶちこんでフウフウ吹きながら啜《すす》るとき、李陵は火影《ほかげ》に顔を火照《ほて》らせた若い蕃王《ばんおう》の息子に、ふと友情のようなものをさえ感じることがあった。
天漢三年の秋に匈奴《きょうど》がまたもや雁門《がんもん》を犯した。これに酬《むく》いるとて、翌四年、漢は弐師《じし》将軍|李広利《りこうり》に騎六万歩七万の大軍を授《さず》けて朔方《さくほう》を出でしめ、歩卒一万を率いた強弩都尉《きょうどとい》路博徳《ろはくとく》
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