従っておいてそのうちに機を見て脱走する――敗軍の責を償《つぐな》うに足る手柄を土産《みやげ》として――か、この二つのほかに途《みち》はないのだが、李陵は、後者を選ぶことに心を決めたのである。
単于《ぜんう》は手ずから李陵の縄《なわ》を解いた。その後の待遇も鄭重《ていちょう》を極めた。且※[#「革+是」、第3水準1−93−79]侯《そていこう》単于とて先代の※[#「口+句」、第3水準1−14−90]犁湖《くりこ》単于の弟だが、骨骼《こっかく》の逞《たくま》しい巨眼《きょがん》赭髯《しゃぜん》の中年の偉丈夫《いじょうふ》である。数代の単于に従って漢《かん》と戦ってはきたが、まだ李陵ほどの手強《てごわ》い敵に遭《あ》ったことはないと正直に語り、陵の祖父|李広《りこう》の名を引合いに出して陵の善戦を讃《ほ》めた。虎《とら》を格殺《かくさつ》したり岩に矢を立てたりした飛将軍《ひしょうぐん》李広の驍名《ぎょうめい》は今もなお胡地《こち》にまで語り伝えられている。陵が厚遇を受けるのは、彼が強き者の子孫でありまた彼自身も強かったからである。食を頒《わ》けるときも強壮者が美味をとり老弱者に余り物を与え
前へ
次へ
全89ページ中51ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング