るのが匈奴《きょうど》のふうであった。ここでは、強き者が辱《はずか》しめられることはけっしてない。降将李陵は一つの穹盧《きゅうろ》と数十人の侍者《じしゃ》とを与えられ賓客《ひんきゃく》の礼をもって遇《ぐう》せられた。
 李陵にとって奇異な生活が始まった。家は絨帳《じゅうちょう》穹盧《きゅうろ》、食物は羶肉《せんにく》、飲物は酪漿《らくしょう》と獣乳と乳醋酒《にゅうさくしゅ》。着物は狼《おおかみ》や羊や熊《くま》の皮を綴《つづ》り合わせた旃裘《せんきゅう》。牧畜と狩猟と寇掠《こうりゃく》と、このほかに彼らの生活はない。一望際涯《いちぼうさいがい》のない高原にも、しかし、河や湖や山々による境界があって、単于《ぜんう》直轄地《ちょっかつち》のほかは左賢王《さけんおう》右賢王|左谷蠡王《さろくりおう》右谷蠡王以下の諸王侯の領地に分けられており、牧民の移住はおのおのその境界の中に限られているのである。城郭もなければ田畑もない国。村落はあっても、それが季節に従い水草を逐《お》って土地を変える。
 李陵には土地は与えられない。単于|麾下《きか》の諸将とともにいつも単于に従っていた。隙《すき》があった
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