には伏波《ふくは》将軍として十万の兵を率いて南越《なんえつ》を滅ぼした老将である。その後、法に坐《ざ》して侯を失い現在の地位に堕《おと》されて西辺を守っている。年齢からいっても、李陵とは父子ほどに違う。かつては封侯《ほうこう》をも得たその老将がいまさら若い李陵ごときの後塵《こうじん》を拝するのがなんとしても不愉快だったのである。彼は陵の軍を迎えると同時に、都へ使いをやって奏上させた。今まさに秋とて匈奴《きょうど》の馬は肥え、寡兵《かへい》をもってしては、騎馬戦を得意とする彼らの鋭鋒《えいほう》には些《いささ》か当たりがたい。それゆえ、李陵とともにここに越年し、春を待ってから、酒泉《しゅせん》・張掖《ちょうえき》の騎各五千をもって出撃したほうが得策と信ずるという上奏文である。もちろん、李陵はこのことをしらない。武帝はこれを見ると酷《ひど》く怒った。李陵が博徳と相談の上での上書と考えたのである。わが前ではあのとおり広言しておきながら、いまさら辺地に行って急に怯気《おじけ》づくとは何事ぞという。たちまち使いが都から博徳と陵の所に飛ぶ。李陵は少をもって衆を撃たんとわが前で広言したゆえ、汝《なん
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