で、側面から匈奴の軍を牽制《けんせい》したいという陵の嘆願には、武帝も頷《うなず》くところがあった。しかし、相つづく諸方への派兵のために、あいにく、陵の軍に割《さ》くべき騎馬の余力がないのである。李陵はそれでも構わぬといった。確かに無理とは思われたが、輜重《しちょう》の役などに当てられるよりは、むしろ己《おのれ》のために身命を惜しまぬ部下五千とともに危うきを冒《おか》すほうを選びたかったのである。臣願わくは少をもって衆を撃たんといった陵の言葉を、派手《はで》好きな武帝は大いに欣《よろこ》んで、その願いを容《い》れた。李陵は西、張掖《ちょうえき》に戻って部下の兵を勒《ろく》するとすぐに北へ向けて進発した。当時|居延《きょえん》に屯《たむろ》していた彊弩都尉《きょうどとい》路博徳《ろはくとく》が詔を受けて、陵の軍を中道まで迎えに出る。そこまではよかったのだが、それから先がすこぶる拙《まず》いことになってきた。元来この路博徳《ろはくとく》という男は古くから霍去病《かくきょへい》の部下として軍に従い、※[#「丕+おおざと」、第3水準1−92−64]離侯《ふりこう》にまで封ぜられ、ことに十二年前
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