わせようとする。怨恨《えんこん》が長く君主に向かい得ないとなると、勢い、君側の姦臣《かんしん》に向けられる。彼らが悪い。たしかにそうだ。しかし、この悪さは、すこぶる副次的[#「副次的」に傍点]な悪さである。それに、自矜心《じきょうしん》の高い彼にとって、彼ら小人輩《しょうじんはい》は、怨恨の対象としてさえ物足りない気がする。彼は、今度ほど好人物[#「好人物」に傍点]というものへの腹立ちを感じたことはない。これは姦臣《かんしん》や酷吏《こくり》よりも始末が悪い。少なくとも側《かたわら》から見ていて腹が立つ。良心的に安っぽく安心しており、他にも安心させるだけ、いっそう怪《け》しからぬのだ。弁護もしなければ反駁《はんばく》もせぬ。心中、反省もなければ自責もない。丞相《じょうしょう》公孫賀《こうそんが》のごとき、その代表的なものだ。同じ阿諛《あゆ》迎合《げいごう》を事としても、杜周《としゅう》(最近この男は前任者|王卿《おうけい》を陥れてまんまと御史大夫《ぎょしたいふ》となりおおせた)のような奴《やつ》は自らそれと知っているに違いないがこのお人好しの丞相ときた日には、その自覚さえない。自分に全
前へ 次へ
全89ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング