異なった彼《か》の国のこととて、当然、彼はまず、武帝を怨《うら》んだ。一時はその怨懣《えんまん》だけで、いっさい他を顧みる余裕はなかったというのが実際であった。しかし、しばらくの狂乱の時期の過ぎたあとには、歴史家としての彼が、目覚めてきた。儒者《じゅしゃ》と違って、先王の価値にも歴史家的な割引をすることを知っていた彼は、後王たる武帝の評価の上にも、私怨《しえん》のために狂いを来たさせることはなかった。なんといっても武帝は大君主である。そのあらゆる欠点にもかかわらず、この君がある限り、漢の天下は微動だもしない。高祖はしばらく措《お》くとするも、仁君《じんくん》文帝《ぶんてい》も名君|景帝《けいてい》も、この君に比べれば、やはり小さい。ただ大きいものは、その欠点までが大きく写ってくるのは、これはやむを得ない。司馬遷《しばせん》は極度の憤怨《ふんえん》のうちにあってもこのことを忘れてはいない。今度のことは要するに天の作《な》せる疾風暴雨|霹靂《へきれき》に見舞われたものと思うほかはないという考えが、彼をいっそう絶望的な憤《いきどお》りへと駆《か》ったが、また一方、逆に諦観《ていかん》へも向か
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