信じていた。文筆の吏《り》ではあっても当代のいかなる武人《ぶじん》よりも男であることを確信していた。自分でばかりではない。このことだけは、いかに彼に好意を寄せぬ者でも認めないわけにはいかないようであった。それゆえ、彼は自らの持論に従って、車裂《くるまざき》の刑なら自分の行く手に思い画《えが》くことができたのである。それが齢《よわい》五十に近い身で、この辱《はずか》しめにあおうとは! 彼は、今自分が蚕室《さんしつ》の中にいるということが夢のような気がした。夢だと思いたかった。しかし、壁によって閉じていた目を開くと、うす暗い中に、生気のない・魂までが抜けたような顔をした男が三、四人、だらしなく横たわったりすわったりしているのが目にはいった。あの姿が、つまり今の己なのだと思ったとき、嗚咽《おえつ》とも怒号《どごう》ともつかない叫びが彼の咽喉《のど》を破った。
 痛憤と煩悶《はんもん》との数日のうちには、ときに、学者としての彼の習慣からくる思索が――反省が来た。いったい、今度の出来事の中で、何が――誰が――誰のどういうところが、悪かったのだという考えである。日本の君臣道とは根柢《こんてい》から
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