上げたときもまかりまちがえば死を賜うようなことになるかもしれぬくらいの懸念《けねん》は自分にもあったのである。ところが、刑罰も数ある中で、よりによって最も醜陋《しゅうろう》な宮刑《きゅうけい》にあおうとは! 迂闊《うかつ》といえば迂闊だが、(というのは、死刑を予期するくらいなら当然、他のあらゆる刑罰も予期しなければならないわけだから)彼は自分の運命の中に、不測の死が待受けているかもしれぬとは考えていたけれども、このような醜いものが突然現われようとは、全然、頭から考えもしなかったのである。常々、彼は、人間にはそれぞれその人間にふさわしい事件しか起こらないのだという一種の確信のようなものを有《も》っていた。これは長い間史実を扱っているうちに自然に養われた考えであった。同じ逆境にしても、慷慨《こうがい》の士には激しい痛烈な苦しみが、軟弱の徒《と》には緩慢なじめじめした醜い苦しみが、というふうにである。たとえ始めは一見ふさわしくないように見えても、少なくともその後の対処のし方によってその運命はその人間にふさわしいことが判《わか》ってくるのだと。司馬遷《しばせん》は自分を男[#「男」に傍点]だと
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