躯保妻子《くをまっとうしさいしをたもつ》の臣といわれても、こういう手合いは、腹も立てないのだろう。こんな手合いは恨みを向けるだけの値打ちさえもない。
 司馬遷は最後に忿懣《ふんまん》の持って行きどころを自分に求めようとする。実際、何ものかに対して腹を立てなければならぬとすれば、結局それは自分自身に対してのほかはなかったのである。だが、自分のどこが悪かったのか? 李陵《りりょう》のために弁じたこと、これはいかに考えてみてもまちがっていたとは思えない。方法的にも格別|拙《まず》かったとは考えぬ。阿諛《あゆ》に堕《だ》するに甘んじないかぎり、あれはあれでどうしようもない。それでは、自ら顧みてやましくなければ、そのやましくない行為が、どのような結果を来たそうとも、士たる者はそれを甘受《かんじゅ》しなければならないはずだ。なるほどそれは一応そうに違いない。だから自分も肢解《しかい》されようと腰斬《ようざん》にあおうと、そういうものなら甘んじて受けるつもりなのだ。しかし、この宮刑《きゅうけい》は――その結果かく成り果てたわが身の有様というものは、――これはまた別だ。同じ不具でも足を切られたり鼻を切
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