を詰《なじ》ったところ、これに答えていう。前主の是《ぜ》とするところこれが律《りつ》となり、後主の是とするところこれが令《りょう》となる。当時の君主の意のほかになんの法があろうぞと。群臣皆この廷尉の類であった。丞相《じょうしょう》公孫賀《こうそんが》、御史大夫《ぎょしたいふ》杜周《としゅう》、太常《たいじょう》、趙弟《ちょうてい》以下、誰一人として、帝の震怒《しんど》を犯してまで陵のために弁じようとする者はない。口を極めて彼らは李陵の売国的行為を罵《ののし》る。陵のごとき変節漢《へんせつかん》と肩を比べて朝《ちょう》に仕えていたことを思うといまさらながら愧《は》ずかしいと言出した。平生の陵の行為の一つ一つがすべて疑わしかったことに意見が一致した。陵の従弟《いとこ》に当たる李敢《りかん》が太子の寵《ちょう》を頼んで驕恣《きょうし》であることまでが、陵への誹謗《ひぼう》の種子になった。口を緘《かん》して意見を洩《も》らさぬ者が、結局陵に対して最大の好意を有《も》つものだったが、それも数えるほどしかいない。
ただ一人、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた。今口を極めて李陵を讒誣《ざ
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