はど》が胡軍《こぐん》のために生擒《いけど》られ、数年後に漢に亡《に》げ帰ったときも、武帝はこれを罰しなかったことを語った。この例から考えても、寡兵《かへい》をもって、かくまで匈奴《きょうど》を震駭《しんがい》させた李陵《りりょう》であってみれば、たとえ都へのがれ帰っても、天子はこれを遇する途《みち》を知りたもうであろうというのである。李陵はそれを遮《さえぎ》って言う。陵一個のことはしばらく措《お》け、とにかく、今数十矢もあれば一応は囲みを脱出することもできようが、一本の矢もないこの有様《ありさま》では、明日の天明には全軍が坐《ざ》して縛《ばく》を受けるばかり。ただ、今夜のうちに囲みを突いて外に出、各自鳥獣と散じて走ったならば、その中にはあるいは辺塞《へんさい》に辿《たど》りついて、天子に軍状を報告しうる者もあるかもしれぬ。案ずるに現在の地点は※[#「革+是」、第3水準1−93−79]汗山《ていかんざん》北方の山地に違いなく、居延《きょえん》まではなお数日の行程ゆえ、成否のほどはおぼつかないが、ともかく今となっては、そのほかに残された途《みち》はないではないか。諸将僚もこれに頷《うなず
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