からでも優に一千五百里(支那里程)は離れている。統率者李陵への絶対的な信頼と心服とがなかったならとうてい続けられるような行軍ではなかった。
毎年秋風が立ちはじめると決《きま》って漢の北辺には、胡馬《こば》に鞭《むち》うった剽悍《ひょうかん》な侵略者の大部隊が現われる。辺吏が殺され、人民が掠《かす》められ、家畜が奪略される。五原《ごげん》・朔方《さくほう》・雲中《うんちゅう》・上谷《じょうこく》・雁門《がんもん》などが、その例年の被害地である。大将軍|衛青《えいせい》・嫖騎《ひょうき》将軍|霍去病《かくきょへい》の武略によって一時|漠南《ばくなん》に王庭なしといわれた元狩《げんしゅ》以後|元鼎《げんてい》へかけての数年を除いては、ここ三十年来欠かすことなくこうした北辺の災いがつづいていた。霍去病《かくきょへい》が死んでから十八年、衛青《えいせい》が歿《ぼっ》してから七年。※[#「さんずい+足」、第4水準2−78−51]野侯《さくやこう》趙破奴《ちょうはど》は全軍を率いて虜《ろ》に降《くだ》り、光禄勲《こうろくくん》徐自為《じょじい》の朔北《さくほく》に築いた城障もたちまち破壊される。全
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