のである。秋とはいっても北地のこととて、苜蓿《うまごやし》も枯れ、楡《にれ》や※[#「木+聖」、第3水準1−86−19]柳《かわやなぎ》の葉ももはや落ちつくしている。木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地の近傍《きんぼう》を除いては)、容易に見つからないほどの、ただ砂と岩と磧《かわら》と、水のない河床との荒涼たる風景であった。極目人煙を見ず、まれに訪れるものとては曠野《こうや》に水を求める羚羊《かもしか》ぐらいのものである。突兀《とっこつ》と秋空を劃《くぎ》る遠山の上を高く雁《かり》の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同|誰《だれ》一人として甘い懐郷の情などに唆《そそ》られるものはない。それほどに、彼らの位置は危険|極《きわ》まるものだったのである。
 騎兵を主力とする匈奴に向かって、一隊の騎馬兵をも連れずに歩兵ばかり(馬に跨《また》がる者は、陵とその幕僚《ばくりょう》数人にすぎなかった、)で奥地深く侵入することからして、無謀の極《きわ》みというほかはない。その歩兵も僅《わず》か五千、絶えて後援はなく、しかもこの浚稽山《しゅんけいざん》は、最も近い漢塞《かんさい》の居延《きょえん》
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