》しつつ、胡軍の最精鋭は、黄白の幟《し》を目ざして襲いかかった。その勢いに漢軍は、しだいに平地から西方の山地へと押されて行く。ついに本道から遙《はる》かに離れた山谷の間に追込まれてしまった。四方の山上から敵は矢を雨のごとくに注《そそ》いだ。それに応戦しようにも、今や矢が完全に尽きてしまった。遮虜※[#「章+おおざと」、第3水準1−92−79]《しゃりょしょう》を出るとき各人が百本ずつ携えた五十万本の矢がことごとく射尽くされたのである。矢ばかりではない。全軍の刀槍矛戟《とうそうぼうげき》の類も半ばは折れ欠けてしまった。文字どおり刀折れ矢尽きたのである。それでも、戟《ほこ》を失ったものは車輻《しゃふく》を斬《き》ってこれを持ち、軍吏《ぐんり》は尺刀《せきとう》を手にして防戦した。谷は奥へ進むに従っていよいよ狭《せま》くなる。胡卒《こそつ》は諸所の崖《がけ》の上から大石を投下しはじめた。矢よりもこのほうが確実に漢軍の死傷者を増加させた。死屍《しし》と※[#「壘」の「土」に代えて「糸」、第3水準1−90−24]石《るいせき》とでもはや前進も不可能になった。
 その夜、李陵は小袖短衣《しょうしゅ
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