いとなったそのときはじめて兵を北に還《かえ》そうということに決まったという。これを聞いて、校尉《こうい》韓延年《かんえんねん》以下漢軍の幕僚《ばくりょう》たちの頭に、あるいは助かるかもしれぬぞという希望のようなものが微《かす》かに湧《わ》いた。
 翌日からの胡軍《こぐん》の攻撃は猛烈を極めた。捕虜《ほりょ》の言の中にあった最後の猛攻というのを始めたのであろう。襲撃は一日に十数回繰返された。手厳《てきび》しい反撃を加えつつ漢軍は徐々に南に移って行く。三日|経《た》つと平地に出た。平地戦になると倍加される騎馬隊の威力にものを言わせ匈奴《きょうど》らは遮二無二《しゃにむに》漢軍を圧倒しようとかかったが、結局またも二千の屍体《したい》を遺《のこ》して退いた。捕虜の言が偽りでなければ、これで胡軍は追撃を打切るはずである。たかが一兵卒の言った言葉ゆえ、それほど信頼できるとは思わなかったが、それでも幕僚《ばくりょう》一同|些《いささ》かホッとしたことは争えなかった。
 その晩、漢の軍侯《ぐんこう》、管敢《かんかん》という者が陣を脱して匈奴の軍に亡《に》げ降《くだ》った。かつて長安《ちょうあん》都下の
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