袍《せいほう》をまとった胡主《こしゅ》はたちまち地上に投出された。親衛隊の二騎が馬から下りもせず、左右からさっと単于を掬《すく》い上げると、全隊がたちまちこれを中に囲んですばやく退いて行った。乱闘数刻ののちようやく執拗《しつよう》な敵を撃退しえたが、確かに今までにない難戦であった。遺された敵の屍体《したい》はまたしても数千を算したが、漢軍も千に近い戦死者を出したのである。
この日捕えた胡虜《こりょ》の口から、敵軍の事情の一端を知ることができた。それによれば、単于《ぜんう》は漢兵の手強《てごわ》さに驚嘆し、己《おのれ》に二十倍する大軍をも怯《おそ》れず日に日に南下して我を誘うかに見えるのは、あるいはどこか近くに、伏兵があって、それを恃《たの》んでいるのではないかと疑っているらしい。前夜その疑いを単于が幹部の諸将に洩《も》らして事を計ったところ、結局、そういう疑いも確かにありうるが、ともかくも、単于自ら数万騎を率いて漢の寡勢《かぜい》を滅しえぬとあっては、我々の面目に係わるという主戦論が勝ちを制し、これより南四、五十里は山谷がつづくがその間力戦猛攻し、さて平地に出て一戦してもなお破りえな
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