はようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。
 それを聞いて飛衛がいう。瞬かざるのみではまだ射《しゃ》を授けるに足りぬ。次には、視《み》ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大のごとく、微《び》を見ること著《ちょ》のごとくなったならば、来《きた》って我に告げるがよいと。
 紀昌は再び家に戻《もど》り、肌着《はだぎ》の縫目《ぬいめ》から虱《しらみ》を一匹探し出して、これを己《おの》が髪《かみ》の毛をもって繋《つな》いだ。そうして、それを南向きの窓に懸《か》け、終日|睨《にら》み暮《く》らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った虱を見詰める。初め、もちろんそれは一匹の虱に過ぎない。二三日たっても、依然《いぜん》として虱である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほん[#「ほん」に傍点]の少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目《みつきめ》の終りには、明らかに蚕《かいこ》ほどの大きさに見えて来た。虱を吊《つ》るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々《きき》として照っていた春の陽《ひ》はいつか烈《はげ》しい夏の光に変り、澄《す》んだ秋空を高く雁《がん》
前へ 次へ
全17ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング