《そなえ》ありやを顧み、上に聖天子おわしましながら有君而無臣を慨《なげ》き、政治に外交に教育に、それぞれ得意の辛辣な皮肉を飛ばして、東亜百年のために国民全般の奮起を促しているのである。
支那事変に先立つこと二十一年、我が国の人口五千万、歳費七億の時代の著作であることを思い、その論旨の概《おおむ》ね正鵠《せいこく》を得ていることに三造は驚いた。もう少し早く読めば良かったと思った。あるいは、生前の伯父に対して必要以上の反撥を感じていたその反動で、死後の伯父に対しては実際以上の評価をして感心したのかも知れない。
大東亜戦争が始まり、ハワイ海戦や馬来《マレイ》沖海戦の報を聞いた時も、三造のまず思ったのは、この伯父のことであった。十余年前、鬼雄となって我に寇《あだ》なすものを禦《ふせ》ぐべく熊野灘の底深く沈んだこの伯父の遺骨のことであった。鯱《さかまた》か何かに成って敵の軍艦を喰ってやるぞ、といった意味の和歌が、確か、遺筆として与えられたはずだったことを彼は思出し、家中捜し廻って、ようやくそれを見付け出した。既に湿気のためにぐにゃぐにゃ[#「ぐにゃぐにゃ」に傍点]になった薄樺色地の二枚の色紙
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