れは凡《すべ》て事実であった。伯父の骨は、親戚の一人が汽船の上から、遺命通り、熊野灘に投じたのである。伯父は、そうして鯱《さかまた》か何かになってアメリカの軍艦を喰べてしまうつもりであったのである。
 他人に在っては気障《きざ》や滑稽《こっけい》に見えるこのような事が、(このような遺言や、その他、数々の奇行奇言などが)あとで考えて見れば滑稽ではあっても、伯父と面接している場合には、極めて似付かわしくさえ見えるような、そのような老人で伯父はあった。それでも、高等学校の時分、三造には、この伯父のこうした時代離れのした厳格さが、甚だ気障な厭味《いやみ》なものに見えた。伯父が、自分の魂の底から、少しも己《おのれ》を欺くことなしに、それを正しいと信じてそのような言行をしているとは、到底彼には信じられなかったのである。其処《そこ》に、彼と伯父との間に、どうにもならない溝があった。事実彼と伯父との間にはちょうど半世紀の年齢の隔たりがあった。死んだ時、伯父は七十二で、三造はその時二十二であった。
 親戚の多くが、三造の気質を伯父に似ているといった。殊に年上の従姉《いとこ》の一人は、彼が年をとって伯父の
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