理解していないことに対する憤懣《ふんまん》とで、すっかり機嫌を悪くしたまま、伯父はその家を出た。麓《ふもと》までは、三造にも初めての山駕籠《やまかご》であった。あまり強そうにも見えない三十前後の男が前後に一人ずつ、杖をもって時々肩を換えながら、石段路を歩きにくそうに下って行った。三造はそのあとについて歩いた。下り切ってしまうと今度は人力車に乗った。松田の駅に着いた時はもう夕方になっていた。
松田駅の待合室で次の下りを待合せている間、伯父は色々解らないことを言出《いいだ》して三造を弱らせた。その時伯父は珍しく旅行案内を持っていて、(宿の神主が気を利かせて荷物の中に入れておいたものであろう)それで時間を繰りながら、「今、立てば大阪は明日の十時になる」といった。ところが三造が見ると、どうしても七時になっている。そういうと伯父はひどく腹を立てて、よく見ろといった。いくら見ても同じであった。伯父が線を間違えて見ていたのである。三造も少し不愉快になってきたので、赤鉛筆でハッキリ線をひいて伯父の見間違いを説明した。すると伯父は返事をしないで、子供のようにむっ[#「むっ」に傍点]としたまま横を向い
前へ
次へ
全50ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング