南島譚
鶏[#「鶏」は「奚+隹」、第3水準1−93−66]
中島敦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)其《そ》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)古い|石の神像《クリツツム》だ
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《にわとり》
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南洋群島島民のための初等学校を公学校というが、或る島の公学校を参観した時のこと、丁度朝礼で新任の一教師の紹介が行われている所にぶつかった。其《そ》の新しい先生はまだ如何《いか》にも若々しく見えるのだが、既に公学校教育には永年の経験のある人だという。校長の紹介の辞についで其の先生が壇に上り、就任の挨拶をした。
「今日から先生がお前等と勉強することになった。先生はもう長いこと南洋で島民に教えとる。お前等のすることは何から何まで先生にはよう分っとる。先生の前でだけ大人しくして、先生のおらん所で怠けとっても、先生には直ぐ分るぞ。」
一句一句ハッキリと句切り、怒鳴るような大声であった。
「先生をごまかそうと思っても駄目だ。先生は怖いぞ。先生のいうことを良く守れ。いいか。分ったか? 分った者は手を挙げよ!」
凡《およ》そボロボロなシャツや簡単着をまとった数百の色の黒い男女生徒が、一斉に手を挙げた。
「よし!」と新任の先生は特に声を大きくして言った。「分ったら、それでよし。先生の話は之《これ》で終り!」
一礼の後、数百の島民児童の眼が再び心からなる畏敬の色を浮かべて新しい先生の姿を仰ぎ見た。
畏敬の色を浮かべたのは生徒等ばかりではない。私も亦《また》畏敬と讃嘆の念を以て此《こ》の挨拶に聞入った。但し、それ以外に若干の不審の表情をも私は浮かべたのかも知れぬ。というのは、朝礼が済んで職員室に入ってから其の新任教師は私の其の表情に弁解するかの様な調子で斯《こ》う言ったからである。
「島民にはですな、あの位の調子で威《おど》しとかんと、後まで抑えがきかんですからなあ。」
そう言って其の先生は見事に日焼した顔に白い歯を見せて明るく笑った。
内地から南洋へ来たばかりの若い人達は、斯うした事実を前にすると、往々にして眉を顰《ひそ》めがちである。しかし、南洋に二三年も過ごした人だと、最早この様な事柄に何等不審を感じない。或いは、こういうのが島民に接する最上の老練さだと考えもしよう。
私自身に就いて云うならば、斯ういう島民の扱い方に対して別に人道主義的な顰蹙《ひんしゅく》も感じないが、さりとて之を以て最上の遣り方と推奨することにも多分の躊躇を感ずる。断乎たる強制一点張が、へん[#「へん」に傍点]に彼等を甘やかすよりも効果的であるのは言う迄もない。いや、困ったことに、周到な用意を伴った誠心誠意よりも、尚且つ、単なる強制の方が良い結果をあげる場合が甚だ多いのである。勿論、それが果して彼等を心服せしめてのことか、どうか、それは疑わしいにしても、我々の常識にとって再び困ったことに、断乎たる強圧が彼等を単に表面ばかりでなく、本当に心底から驚嘆感服せしめる場合も確かに在り得るのだ。「怖い」と「偉い」とがまだ分化していない場合が多く、しかし何時《いつ》でもそうかと云うに、必ずしもそう一律には行かないように思われる。要するに、私にはまだ島民というものが呑みこめないのだ。そうして、この島民の心理や生活感情の不可解さは、私にとって、彼等に接することが多くなればなる程益々増して行く。南洋に来た最初の年よりも三年目の方が、三年目より五年目の方が、土人の気持は私にとって一層不可解になって来た。
勿論「怖れ」と「敬い」との混同は我々文明人にもあるとは云える。ただ其の程度と現れ方とが非常に違うだけで。だから、此の点に就いての彼等の態度もそれ程分らぬことはないと、強いて言えば言えるかも知れぬ。アンガウル島へ燐鉱掘りに狩出されて行く良人を浜に見送る島民の女は、舟の纜《ともづな》に縋《すが》ってよよ[#「よよ」に傍点]と泣き崩れる。夫の乗った舟が水平線の彼方に消えても、彼女は涙に濡れたまま其の場を立ち去らない。誠に松浦佐用姫も斯《か》くやと思われるばかりである。二時間後には、しかし、此の可憐な妻は、早くも近処の青年の一人と肉体的な交渉をもっているであろう。これも我々に判らぬことはない、などと言えば、世の婦人方から一斉に論難されること請合《うけあ》いだが、しかし、斯うした気持の原型が我々の中に絶対に無いと言う方があれば、それは余りにも心理的な反省に欠けた人に違いない。西班牙《スペイン》領から独逸《ドイツ》領になった時、前夜迄の忠実無比な下僕や隣人が忽ち
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