ドウドなど一つも持ってはいない。ウドウドも持っていない位だから、之《これ》によって始めて購《あがな》うことの出来る妻をもてる訳がない。たった独りで、島の第一|長老《ルバック》の家の物置小舎の片隅に住み、最も卑しい召使として仕えている。家中のあらゆる卑しい勤めが、此の男一人の上に負わされる。怠け者の揃った此の島の中で、此の男一人は怠ける暇が無い。朝はマンゴーの繁みに囀《さえず》る朝鳥よりも早く起きて漁に出掛ける。手槍《ピスカン》で大蛸《おおだこ》を突き損《そこな》って胸や腹に吸い付かれ、身体中|腫《は》れ上ることもある。巨魚タマカイに追われて生命《いのち》からがら独木舟《カヌー》に逃げ上ることもある。盥《たらい》ほどもある車渠貝《アキム》に足を挟まれ損ったこともある。午《ひる》になり、島中の誰彼が木蔭や家の中の竹床の上でうつらうつら[#「うつらうつら」に傍点]午睡をとる時も、此の男ばかりは、家内の清掃に、小舎の建築に、椰子蜜《やしみつ》採りに、椰子縄|綯《な》いに、屋根|葺《ふ》きに、家具類の製作に、目が廻る程忙しい。此の男の皮膚はスコールの後の野鼠の様に絶えず汗でびっしょり濡れている。
前へ 次へ
全14ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング